かぶら・ぶらぶらinformation NO.2(H19.06.05)

国名勝指定 「楽山園」 の整備進む

 楽山園は、江戸時代の初期、織田信長の次男「信雄」により造られたものと考えられており、「智者ハ水ヲ楽シミ、仁者は山ヲ楽シム」という「論語」の故事から名付けられたと言われています。江戸時代初期の池泉回遊様式(庭を眺めるだけでなく、歩いても楽しめる)の庭園で、京都の桂離宮と同じ特色を有しています。
 広い昆明池を掘り、いろは48石を配し、築山にあずまやを建て、熊倉山・紅葉山の借景(周辺の景色をたくみに利用する)によって庭園美を盛り上げる造り方は、当時の大名の趣向をよく表しており、県内では唯一残っている大名庭園として貴重な遺跡です。平成12年3月30日に国名勝として指定され、甘楽町により、江戸時代往時姿の復元にむけた整備事業が、現在進行中ですが、庭園部分はほぼ完成しています。(平成23年に整備完了予定)また、隣には甘楽総合公園、甘楽ふるさと館、だるま窯などがあり散策が楽しめる場所になっています。

 織田信雄は、本能寺の変後、賤ヶ岳の戦いでは秀吉に見方しましたが、その後の小牧・長久手の戦いでは、家康と同盟を結び秀吉と対立しました。この戦いは局地的に秀吉軍を破るなど優勢でしたが、秀吉の調略により講和に応じました。その後は秀吉、家康に従い改易を繰り返しましたが、大坂夏の陣後に家康から上州小幡五万石を与えられ、その後8代に渡りこの地を治めていました。この地での織田氏の支配は初代:信雄、二代:信好、三代:信昌、四代:信久、五代:信就、六代:信右、七代:信富と続き、八代:信邦が明和事件で出羽高畠二万石に移封されるまでの八代152年間続いており、楽山園近くには織田宗家七代の墓や武家屋敷の面影が残る町並みが存在しています。

>>>関連リンク(甘楽町:楽山園の整備状況)
>>>関連リンク(甘楽町の名所旧跡:観光マップ)

【交通】上信電鉄 上州福島駅より約4km
【画像】楽山園の整備状況
楽山園の整備状況
【画像】町指定天然記念物の楽山園のウメ
町指定天然記念物の楽山園のウメ
【画像】織田信雄の墓
織田信雄の墓
【画像】武家屋敷の町並み
武家屋敷の町並み
・かぶら・ぶらぶら街道トップページへ戻る